S201119

 紛争や争いには常に言葉が関与を赤ちゃんで悟ったあたしの人生での作戦なら言わずもがな、言葉に関連して何かを達成していくこと。なぜなら過激にお互いを刺激しあって、戦いにもつれこむことは、家庭内闘争で観て来た。挙げ足を取ったり邪推したりは最も危険って小さいとき、会得して、どうすれば冷静な状態で両者が対峙出来るのか?ずっと経過を見て行くことで分かったことは雨降って地面固まる路線?それかもしくは同じ危機に両人が対応。そこで結束感も生まれる。同じ危機を設定したり提起するまでもなく、結婚にはデンジェラスも付きもの。なぜなら全く価値観が違っていたりすればええ?ってなるだろう。この結婚は・・・?って。恐らく伴侶はあたしをまともな人間だと思っていた。貯金も少しはあるだろうって。しかし伴侶の思惑が外れる。あたしは文人を目指し音楽で身を建てようとしていた。ここをしかしハッキリこっちから言えない。ずっと家の中で雑事をこなしながら家事と育児、そして文人としての作業を行いここまで来ている。結婚は結果を求められない。出来高勝負だ・・・それによって首だ!!って言い渡されることがない。イメージはそうだったが、伴侶は厳しかった!!それに応えうる自分になるまでに相当の時間は費やされたと思う。厳しさがあたしを磨いた・・・ほな行きまひょ。あわよくば 50センチ以上 のどぐろかな☆喉から手が出るほど欲しいのは結果だ☆