デニム・ブルーママン21の17

 

私が学んだ実生の哲学は存在しました。父が満足には、自分の意見も言えず海の藻屑になったように、現実の社会には大きな裂け目が存在すること…しかし、それを見たら、みんなが、神経を尖らせ、日本のことを全く考えてないと、騒ぎ出すことは、私には分かっていました。両親から受けた礼の教育を私等は基本にして戦後を歩みました。一切疑問符がなかった…と言えば虚言になる。ゆえに、代弁者を私が必要としていたのは、理解出来ると思います。私では、上手く表現が出来ない。まさか…私が時代の反逆児を産むなど、その頃は思いません。教え子に憧れる生徒がいました。子供が生まれたら……私は、我が子につけたいほど、理想の生徒でした。