鍵っ子にカギはあった。

 どの家にも、昔、兄弟かお母さんがいて、うちは、両親共働きで、民家に預けられていた。1日はその家で過ごす。細やかな配慮で育成されたが、寂しがり屋の幼少期だった。うちの両親はどこや?なんでうちの傍にはおらんのや?鬱憤は子供のストレスになっていく。子供のために両親が頑張る仕事を、まだ、理解不可能やった。うちを見て!愛して!この願望は巨大化していき、愛されたい、構われたいは募りゆく。しかし、今は着地出来た。愛されないのではなく、みんな、忙しいのだ。