ミラクル婆のアラセブ日記☆6★

 私が50代のとき、大失恋をして恋なんてもうこりごり・・っていうのは引きずっていたし、よみびとしらすの著書もその恋の記念として出したんです。世に出すことで証拠を遺したかった・・っていうのはありますね。初版本のうちの365冊を我が家に置いて今まではずっと恋はもう来ないってそういう諦めの心境、悟りを拓いた尼の境地にあったんですが、驚くべきことに、夫が亡くなって、私がすぐに通常の自分に戻っていたわけではないのです。彼の死の床が息が出来ないっていう苦難の極みだったゆえに、あたしの身体にそれがうつってしまった可能性があった。肺気腫の最期は壮絶で正視出来なかった。それが関与で鼻炎が酷くなってあたしを苦しめていたんです。穏やかな顔に彼がなったときの句はありますが、まだ、正視出来なかった渦中は詠めてない。なぜ、そういうということに拘るか?そこはまだ、彼にとって煉獄ではなかったか?荼毘にふしたとはいえ、まだ彼には、過酷な苦しみが続行していた可能性があった。分からない限り記述公開が出来ないのです。私には初めてだったのです。死んでいく人の最期の場面に対峙するということが・・・。だから旦那のことが整理出来ないのよ・・ではなく死んでいく人の気持ちを遺したいは余りあって噴出しているのに、句としてまとめられない作歌師のジレンマが襲っていたのです。最初の半年くらいはそのことで憔悴していたあたしですが、だんだんと生活意識も明瞭になってさて何から手を付ける?ってブログもちょこちょこしながら旦那が亡くなって八ヶ月経過した頃でした。クルマを買い替えることになって、私は無理して、ローンを組みハスラーを購入するんですが、まさか・・・購入する時とは思いもよらない珍事に巻き込まれてしまうんです。自分がひとりで乗っては出かけられない・・・二の句が自分に告げない。人生ではこの縛りは初で、私の両親でもしなかった防衛策を家族が敷いてくる。コロナが怖かった・・・とは言うけど、コロナ便乗だとあたしは疑惑の眼差しで子供を見つめて今もあります。ローン支払いは全額あたし。敵は一円も出したことはない。しかも親の自由はまったくなし。辛くて泣きそうでしたが、コロナが収まればって状況の好転を待つ日々だったのです。会社が社長の公用車として自動車を登録するようにあたしの運転で出掛ける為の鬼娘の鬼策だったのです。