お金がなくても豪遊の思い出

 

今、貧しく苦しくても、豪遊は思い出として残っていて、それがあったからこそ、今きつい荷物の仕事に携わることが出来ているのでは?って考え方を方向転換している。なぜなら、夢彩都アミュプラザなど、そう庶民は行ける場所ではない。新幹線の来た長崎駅の周囲も相当変身したことでしょう。その数々の進出店を思うと行ってみたいなっていう憧れと同時に、長崎に棲んでいることがとても嬉しくなる。もしもこの街に棲んでいなかったら感動も伝わらなかったでしょう。川柳や狂歌はどちらも俳句や短歌との線引きがとても難しく微妙なので、時々、論争もあります。しかし自分が手応えを掴んでいれば大丈夫です。みんなに自分の思いをわかってもらえることが最優先。だから嘘やハッタリは良くないのです。読者の澄み渡った眼で見て頂くことが第一番目に来る。だから嘘をつけば、ばればれになって、滑稽も、逆に辻褄合わなくなる。センスを一番目に置きましょう。自分がこの句を詠んだとき、相手に何を感じて欲しいのか?それを不鮮明にしているままで、読者にわかってもらえることは不可能。不可能を可能にしましょう。相手に伝えたい迫真の心が問われるのです。☆ダイレックス東長崎にて☆