デニムブルー・ママン21の11

 

自分の中で理想とする女性像は、思いっきり背伸びをすれば母でした。しかし、それを目指せ…は無理なことは分かっていました。母は母なりに軍国の世を生きて、四人の子供たちを大人にし終えた。それだけで、充分役目は果たしていると、私は解釈しました。そんなに、時代が横転する機会には普通は遭遇はしません。私は15歳で敗戦を体験し、ミチは13歳で三菱の兵器工場で被爆したのです。ミチは、原爆投下と対峙をしながら、防空壕で一命をとりとめ、そのとき、私達は鹿児島に疎開していたのです。日本は少しずつ、良い方向に動きを変えて行くべく、戦争の遺した爪痕と向き合う日々でした。ミチは、私には、肝心なことを言わないまま、普賢山(ふげんさん)祭りに一回来て欲しい、自分の8歳上の兄に会って欲しい…を打ち明けて来るのです。