デニム・ブルーママン21の14

 私はミチに、総勢何人が一家にいるのか?質問しようとして一歩下がりました。これ以上質問しては、いけない。興味を、持つことが、親密に加速を掛けてしまう…と。なんと言っても理想の男性像がありました。私の兄のように、弁論にたけるスマートさは必須なんだと…しかし、私は、一介の教師で、両親もありません。兄や、姉妹もそれぞれ家庭を持ち、自分だけ、蚊帳の外にある現実…それは途方もない独身砂漠の前触れであることが分かっていただけに、戸惑いは尽きないでいたのです。家族何人で同じ屋根の下に棲むか?それを尋ねようとした時です。ミチは涼しい顔で、ふたりっきりで結婚生活をスタート出来るわ!と軽妙に話すのです。今の時代は、家を継ぐという方式は、最初から取る必要ない…って。私も同居は嫌でした。

デニム・ブルーママン21の13

 

私が極度に寂しいを感じたとき、ミチは上手く私の心を、キャッチし、こう言うのです。兄と会ってみたら、きっと、わかるわ…ミチが兄を紹介するにしても、あくまで私は、のち添えであることは察知していました。ミチも、それを正直に打ち明けて説明したのです。兄と性格が合わずにお嫁さんは家を出て行ったのよ…ミチはそれをオブラートもしないまま、私に素直に伝えてきたので許せました。ミチはこう続けました。兄は中学の教師だから、小学校の教師のあなたの、仕事を、理解し、ふたりは、きっと、上手く行く…とそう話して期待で胸を弾ませるのです。私は、ミチのお兄さんなら、ハンサムに違いない…を確信しました。ミチは色が白く、しかも、面長の美人でした。身長も私より高いので、お兄さんなら、なお、高いと想像したのです。

デニム・ブルーママン21の12

 

ファザーコンプレックスだった私の性格がある時、最高の境地を得たのも、父が、直に褒めてくれたときでした。頭を使う仕事であっても、そうでなくとも、気負いは必要はない…と話してくれたのです。父はまず私の学習態度を評価してくれました。大人しく、芯は強い私を、褒めつつ、人と常に比較する人生を歩むことにノーサインを出して来ました。人は、肝心なとき、意外な程、スルーする…。見て見ぬふりだ。しかし、自分の中で培うものは、見劣りがしない…と。それだけを私に伝えたことを覚えています。ミチは、私が父を失う二年前にお父さんを亡くしていました。ミチの父親は、のぼりを作るのが生業だったようです。

デニムブルー・ママン21の11

 

自分の中で理想とする女性像は、思いっきり背伸びをすれば母でした。しかし、それを目指せ…は無理なことは分かっていました。母は母なりに軍国の世を生きて、四人の子供たちを大人にし終えた。それだけで、充分役目は果たしていると、私は解釈しました。そんなに、時代が横転する機会には普通は遭遇はしません。私は15歳で敗戦を体験し、ミチは13歳で三菱の兵器工場で被爆したのです。ミチは、原爆投下と対峙をしながら、防空壕で一命をとりとめ、そのとき、私達は鹿児島に疎開していたのです。日本は少しずつ、良い方向に動きを変えて行くべく、戦争の遺した爪痕と向き合う日々でした。ミチは、私には、肝心なことを言わないまま、普賢山(ふげんさん)祭りに一回来て欲しい、自分の8歳上の兄に会って欲しい…を打ち明けて来るのです。

デニム・ブルーママン21の10

 

まだふたりとも、若い。私は25歳でミチは二歳下。それなのに、ミチはかなり焦っているように見えました。お互いの家庭の話に入るには、かなり、打ち解けないと私は、無理。このお茶の教室も、母から強く勧められて、来ていたくらい、出不精の私でした。小学校から近いことで来ていたし、ミチも近隣の公立幼稚園で保育士をしていました。ミチは子供が大好きな感じはありました。しかし、それだけに、とどまらない、歌詠みの気質があることを、おいおい知って行くのです。私もミチも、全くお互いに違う…との直感は当たっていたのです。私は創作分野に憧れは抱くものの、全く、自信は持てなかった。ただ、絵画は少しだけ鹿児島師範学校時代に教えを受けたことはありました。

デニム・ブルーママン21の9

 

私はハンサムで都会派タイプの長身の男性が憧れでしたが、ミチは、男性の話や結婚の話は全くしません。お互い名前は同じミチで私にはミチ子で子が付くだけ。まるで運命の出会いのように、強く衝動を共に味わうのですが、予感としてあったのは、私達は全く違う…そのことと、ミチの心の中での葛藤でした。蔓が絡まるようにミチは将来に強い恐れを抱いているように見えました。その当時を、振り返って見てみましょう。1954年の日本…まだ戦後9年しか経過はしていません。戦争の爪痕とみんなが対峙をしていました。ミチは私の年齢より二歳下で、すぐに打ち解けそうで、なかなか本心を明かさない。お茶の修業にしても、完璧を視野に入れていて、意識の高さは半端ないものがありました。難攻不落に見えて最初はこちらが緊張したくらいです。

デニム・ブルーママン21の8

雪を撮影したはずが、違うものが写るように、人生は思うようには行きません。私は、早く、結婚し、家庭を、持ちたいとは、全く考えてなかった。だから、仕事に打ち込んでいた?それも、違うのです。母が亡くなり、私は天涯孤独とはこれを指すのか?を嫌と言う程味わいました。他の姉妹や兄は温かい家庭を持っていたからです。生きる意欲自体を失うものの、新しい希望を見出すのです。お茶の教室で出会ったミチです。私の二歳下でした。(このコーナーは毎週金曜日のみ出稿します)