210220

 けつを捲くるは居直ること・・・でも広義で解釈すれば最後とんでもない力を発揮出来る。まだ出したことない力っていう解釈をわたし、自分では想定している。確かに言葉ってのは一定の縛りはあるけど、どんどん自分が想像力を認識していくうちにも変化があって、文章構成術〔skill in sentence constitution〕、校正の誤り〔proof reading error〕だけは基本として持っておるべき。しかし他はどんどんみずから切り開いていっていい。むしろその姿勢であるべきと疑わない。なぜなら型に嵌まってしまう日本独特の過去の姿勢ではすこぶる危険が漂う。例えば例を挙げよう。茶を濁すと口を濁す…日本では若干違う。しかし海外の人たちにそれを理解してもらうことがすぐ出来るだろうか?他に拘るべきがあると思う。句の底流にある切実な思い。これを分かってもらう方がいかに大事?あまりくどくなってもいけない。今朝はあのギルバート・グレイプに出ていた二人の母親を比較しながら、レオ様が演じたアーニーのお母さんともう一人、最後亡くなってしまう保険代理店を営む旦那の妻、ふたりの女性を比較しながら、女性の脳みそを網羅していた闇・・・ここが一見、対照的なのでしたためておこう。アーニーのお母さんは夫のことで闇を抱えていたしストレスで太っていった。後者の女性は何も不自由なく子供を育成していける立場でありながら全く一生懸命さが、足りず、はたから見ても宙ぶらりんが否めない。ギルバートにちょっかい出して、それが本物の恋と思い込もうとしてた。ほな生きまひょ。未だかつて 女性の心の 闇に分け入り 心底まで及ぶ 作家はおらず☆正反対の女性たちのようだが闇の深さは同じ☆