プライベートキャロル(広島旅行でようやく分かったシャッターの部分)

 タブレットをきついけど持参して広島でわかったのはタブレの写真のシャッターの部位で、朝のバイキングを終えてちょっと時間があってそこにタブレを持って来て写真撮影したかった。カウンター席があったからだ。しかし、諦めて、部屋に戻って、新幹線撮影に挑む。前も書いたように一時間に数本は通るのにシャッターが押せない。その瞬間を捉えることが出来ないのだ。写真が難しいということに執筆の仕事は酷似する。いい写真も音楽も文章も、同様の部位がある。一瞬を取り込める?そうでないなら仕事は成立を見ない。音楽をストックしてまだ、誰にも聞かせてないのも、そこがある。いきなりすぐに作曲は出来ない。難しいからこそ、ストックしていることへの美味が生じる。即興はあくまでも即興、その旨は作曲をしている皆が恐らく承知かと思う。本物を届けたい!!っていう一心でここまで来ている。本物と本物ではないものの差は地球一周分の時差が生じるし、同じだ・・・って思っている人々が地球一周ちょうどを来ているから同位なだけ・・・本物には唸るような部位がある。果実を噛めば液がしたたるのと同じく・・・そういう未来は僅差に近まっている。ウクライナのことが落ち着かないと何も手が付かない。

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