210102

 狂歌は川柳にあと14文字足せば作れるけど大衆は難しいっていう一点張り。この主張の根源になるのは気持ちを一本化することが苦手っていう苦手意識ある。あたしだって、頭の中は錯綜している。何をキーワードとして認めるか?皆がどう学ぶかは別であたしはキーワードを重視し名称に拘る。そういう踏み込みでいればふるさとも生きるからだ。県外の人々の目に止まる。もともとこのふくの湯は外国のお客様も多く、岩盤浴もセットすれば入浴料金も安価っていう特典。こういうのもあたし、友人の道案内がいて引率してもらえて、理解出来た。母は風呂について詳しくてどの銭湯にも行きたがったけどあたしは不案内。裸になることに少し抵抗があった幼児時代だった。注射を一杯したせいで、筋肉萎縮の様相が腕にも足にも残っている。幼いときはそれで悩んでいたわけではなく出べそで悩んでいた。人様に見られて困るのがヘソだった。しかし大人になるにつれ、そういうことは些細なことで、出べそも一杯巷に存在することがわかる。それで、救われた・・・。ほな生きまひょ。ぎやまんの 鍵を受け取り のんびりと 初湯に浸かる 福よ、来い!!☆福に吹くが掛かる、来いに恋も掛かる、家族風呂の部屋の名前はぎやまん〔ガラス工芸のこと〕☆