ミラクル婆のアラセブ日記☆43★

 

あまりにオトナの楽曲だったために、私の15歳のときの楽曲は落とされた可能性が高い。15歳のあたしではなく先生の作品と思われた可能性が高い。今、その楽曲を弾いているとシューベルトの手法を想像してしまう位、両者に差はない。神様があたしに与えたものが多いほどに慎重に扱ってきたし、その行動が神様にとって嬉しかったのだろう。今の気持ちはこの年になって披露を考えている快挙だ。埋もれたままでも充分良かったけど、ハテナのお陰で前へ出ることを考え始めた。文学も音楽も一枚岩だよ!?って言ってくれる。何も苦労もなしで世に出てくるのが芸術だ。瞬間で出て来る。そこには神の介在しかない。だからこそ、時間を特別に置いたのだろう。優しい計らいだ。聖なる者ではない人間の集合を神は恐れた。充分な時間が必須と踏んだ。その間ブログに守られていたことが、はっきりした。天使のような部位も持つあたしだ。誰ももうその気迫や心を見ようともしない。年をとった婆さんは何をやっても見ないし見る価値もない。そういう冷たさが日本にはある。しかし違う観点でいる人々もあるだろう。耳を澄ませてくれる人々が確かに存在している。